春の兆しを感じ始めたある日のこと、セントラル・パークを散歩していると、巨大な岩の上にあおむけになって気持ちよさそうに寝そべっている人を見かけました。長い冬が終わったばかり。まばゆいばかりの日光をめいっぱい浴びて春を満喫していました。岩肌も日光を吸い取って暖かかったのでしょう。
水のゆるむ季節になるや、人々は待ちかねたように外へ飛び出します。
ニューヨークは、アメリカで最もwalkable city(歩きやすい都市)だそうです。また、公園は、ニューヨーク市全面積の4分の1を占め、人口の99%が公園から歩いて10分以内の場所に住んでいるそうです。
そこで、今回のテーマは公園です。何しろ、ニューヨークの公園は、ありとあらゆるジャンルのアートを楽しむことができるのです。
まずは、アメリカでもっとも訪問者数の多い、かの有名なセントラル・パークから。
Central Park
セントラル・パークは、マンハッタンのほぼ中央にある南北4キロ、東西800メートルの都市公園です。いつ行っても人がいて、ベンチに腰かけて本を読んだり、写生したり、写真撮影したり、ジョギングしたり、サイクリングしたり、ピクニックしたり、犬の散歩をしたり、バード・ウォッチングしたり、とそれぞれがそれぞれの方法で公園を楽しんでいます。
広大な園内には、美しい噴水や橋、緑の絨毯のように広がる草原、ボート遊びや魚釣りのできる池、自然を楽しみながら散策できる遊歩道などのほか、お城や動物園や操り人形劇場もあり、いろいろな楽しみ方があります。何もしないのもひとつの方法です。座っていると、さまざまな鳥の鳴き声が聞こえてきます。それもそのはず、園内には200種類以上もの鳥がいるのだそうです。バタバタと羽をはばたかせて飛ぶ黒い鳥の群れを見たと思ったら、コウモリだったこともあります。リスもあちこちで走り回っています。
園内のいたるところに銅像がありますが、文豪、政治家、作曲家、哲学者、軍人など、前に立つと敬礼したくなるような偉人の像が目につきます。こちらは南北戦争で北軍について闘ったシャーマン将軍の記念碑です。勝利の女神に導かれているということは、大手柄を立てたのだと推測されますが、南部の州では、この像はあり得ませんね!
セントラル・パークの東南角にあって、黄金に輝いていることから園内で最も目立つ像といっていいでしょう。園内にある像やモニュメントは、3500年前につくられ、エジプトから寄贈されたオベリスク、「クレオパトラの針」を始め、由緒あるものが多くあります。その一方で、「そり犬のバルトー」や「はちみつ熊」、「踊る山羊」、「マザーグース」といった像もありますが、ほとんどが100年以上も前に制作されています。
たぶん、園内でもっとも親しまれている銅像は、「不思議の国のアリス」のブロンズ像でしょう。アリスが大きなキノコの上で、マッドハッター、白ウサギ、チェシャ猫たちとお茶会を楽しんでいる様子が表されています。よく子供たちがキノコをよじ登ったり、くぐったりして遊んでいます。
アリスのモデルは制作者、ホセ・デ・クレーフトの娘、マッドハッターのモデルは、この彫像を寄贈した裕福な慈善家、ジョージ・デラコルテだそうです。ちなみに1959年に催された披露式では、慈善家デラコルテの孫たちも招かれてアリス像によじ登ったそうです。この初登頂以来、数えきれないほど大勢の子供たちがよじ登ったおかげでピカピカに光っています。
さて、園内でもっとも人気のあるスポットのひとつが、故ジョン・レノンに捧げられた「ストロベリー・フィールズ」です。いつ行っても人がいます。
ジョン・レノンが暗殺されたあと、ニューヨーク市は彼が住んでいたダコタ・アパートの向かいにある1万平方メートルほどの一帯をStrawberry Fieldsと名付けることを決め、妻のヨーコ・オノが100万ドルを寄付、世界120以上の国が植物や賛助金を贈りました。造園家ブルース・ケリーが設計したこのエリアには、低木に囲まれた小さな草地がいくつか配置され、木立ちを縫うように小径が拡がっています。
広場にはめられたモザイク細工はイタリア人職人によって制作され、ナポリ市が寄贈しました。中心に「Imagine」の文字がはめ込まれています。
ジョン・レノンが暗殺されてからほぼ半世紀という年月が過ぎたというのに、命日にはここを訪れて冥福を祈る人が後を絶たないそうです。
この日も、「イマジン」のモザイクタイル細工のあるところは、大勢の人がひっきりなしに訪れていました。
ギターを弾いてビートルズの歌を歌っているシンガーもいました。
ジョン・レノンの遺灰は、未亡人となったヨーコ・オノがダコタ・アパートの向かい、すなわちストロベリー・フィールズのあたりに撒いたということです。
ダコタ・アパートは、セントラル・パークから通りをはさんだ西側にあります。
玄関真ん前にバス停があって、超便利!と思いきや、ここに住む人はおそらく公共バスなど使わないのでしょう。
園内にはNY市公園・リクリエーション局本部のある地味な建物(19世紀に建てられ、ニューヨーク州民兵の武器弾薬庫として使われていた古い建築物です)があるのですが、その中に小さなギャラリーがあるのはあまり知られていません。今夏は、ニューヨーク在住のアーチスト、エイドリアン・コンドラトヴィッツの「ごみプロジェクト」が公開されています。
陳列されているのは、ビニールのゴミ袋やショッピング・バッグ、パッケージなどの廃材を使ったコラージュです。キャンバスは、防水シート。近づいて目を凝らしてみても、廃材を使っているようには見えません。
コンドラトヴィッツは、作品を通じてサステイナビリティ(持続可能性)を訴えています。街の路上に山積みになったゴミに注意を促すアート・プロジェクトとして、ホットピンクの水玉模様のゴミ袋を制作したこともあります。ゴミ袋に使って捨ててしまうにはもったいないようなかわいいビニール袋でした。
セントラル・パークでは、初夏になるとたくさんのイベントが目白押しに催されますが、おそらくもっとも人気があるのは、6月半ばにあるニューヨーク・フィルハーモニックの屋外コンサートでしょう。平日の夜に関わらず、何万人という多くの人が繰り出します。ふだんリンカーン・センターやカーネギー・ホールへ足を向けない人でも、一流のクラシック音楽をピクニック感覚で楽しむことができる良い機会です。
今年は、約5万人もの聴衆がセントラル・パークでの野外コンサートに繰り出したそうです。
よく見かけるのが、芝生に毛布を広げ、ワインとチーズを楽しみながら聴いている人たち。折りたたみテーブルにテーブルクロスをかけ、ロウソクをともしてロマンチックなディナーをしているカップルを見たこともあります。それぞれが自分の方法で楽しむ夕べのコンサートです。締めくくりに花火が上がり、みな立ち上がって一斉に拍手喝采したり口笛を吹いたりして、夏の夜の風物詩が終わります。
これまでの最高記録は、1986年の自由の女神像奉納100周年記念コンサートで、80万人もの人が繰り出して、
当時の音楽監督、ズービン・メータが指揮するニューヨーク・フィルハーモニックの演奏に聴き入りました。2022年に3年ぶりで催されたコンサートには、5万5,000人が詰めかけたということです。星空の下、大勢の人が同じ空間を共有して生演奏を直に聞きました。パンデミック終焉の幕開けです。
メトロポリタン・オペラやシェイクスピア劇も、セントラル・パークの夏恒例のイベントです。クラシックだけでなく、ジャズやブルース、ロックなどいろいろなジャンルの音楽も演奏されます。
ナウムバーグ野外音楽堂での管弦楽コンサートは、6、7月の火曜の夜に開かれます。何万人もの人が押し寄せるニューヨーク・フィルのコンサートに比べると、ずっと小ぶりですが、1905年(明治38年!)に始まり、世界で最も古くから続く野外コンサートだそうです。音楽堂は、広々とした芝生の上ではなく、藤棚や木立に囲まれた奥まったところにあり、彼方で街の喧騒が響き、草やぶにホタルが飛び交うなか、美しい音楽が流れ、マジカルな時間が流れていきます。
セントラル・パークは、市が所有し、市の公園・レクリエーション局の管轄下にありますが、維持・管理にあたっているのは、セントラル・パーク・コンサーバンシーというNPO法人です。年間の運営におよそ7400万ドル、すなわち現在のレートで120億円近くかかるそうですが、そのほとんどを個人の寄付金がまかなっています。
寄付金は常時受け付けていますが、たとえば、「Adopt-a-Bench program(ベンチ採用プログラム」という支援方法もあります。ベンチ一基につき1万ドルの寄付をすると、選んだベンチに名前を入れてくれるのです。故人への追悼、結婚祝い、誕生祝いなど、園内の約半数のベンチに名前やことばの入ったプレートが付いています。
これまでの寄付金の最高額は、ある億万長者が寄付した1億ドル(約160億円)。セントラル・パークへの寄付は、政治的な意味合いも宗教的な意味合いも含まず、不特定多数の多くの人が恩恵を受けるという意味でも、包括的なフィランソロピー(社会貢献)といえるかもしれません。しかも、セントラル・パークは、年間4200万人もの人が訪れ、その経済効果は14億ドル(約2,240億円)といわれています。セントラル・パークに寄付をすれば、ニューヨーク市の経済に貢献することにもつながるわけです。1億ドルの寄付金は、施設の改修と維持、レクリエーション・プログラムの拡充にあてられるということですが、資金力の豊かな公園とそうでない公園の差がますます大きくなるという批判もありました。
Bryant Park
次に、マンハッタンの中心地、グランド・セントラル駅とタイムズ・スクエアの間にあるブライアント・パークを見てみましょう。総面積4万平方メートル未満ですから、四方が1辺200メートルもありません。でも、ここは、ライオン像で有名なニューヨーク公共図書館本館の真裏にあり、ビジネス街でもあり、ブロードウエイの劇場エリア近くでもあることから、年間1200万人もの人が訪れます。
スーパーやファストフード店もあたりにたくさんあり、園内でお昼にする人も大勢います。たくさんの椅子やテーブルがあるので、いつ行っても必ず座ることができます。
夏はステージが仮設され、ランチタイムにライブの音楽が演奏されたり、夜はコンサートや野外映画などが催されたりします。いろいろなイベントが目白押しなので、何もすることがないときには、とりあえずこの公園に来れば、何らかの形で楽しめます。
活動の中心であるグレート・ローン(広い芝生)の地下には、公共図書館の書庫があり、長さにすると135キロの書庫に320万冊の本が収納できるようになっています。
特記すべきなのがアート・カートです。
ブライアント・パークには、4月~10月の間、毎日午前11時~午後7時まで、画材や文具の入ったアート・カートが置いてあり、自由に使うことができます。常に入れ替わりますが、だいたい、色鉛筆、消しゴム、マーカー、クレヨン、画用紙、ぬり絵シートなどはそろっています。ステンシル、リボン、のり、ビーズ、毛糸などのクラフト用品も補充されることがあります。すべて無料です。ぬり絵は人気らしく、無心に色をぬっている人をよく見かけます。仕事や観光の合間に息抜きするのにぴったりです。
また、毎日のように、油絵入門、ゼンタングル(シンプルなパターンを繰り返し描く抽象的なペン画)、コラグラフ(コラージュと浮き彫り版画を組み合わせたもの)、コッテージ・スタイルのクラフト、人物画、ステンシル、クィリング(巻紙細工)、スタンプ作りなどのクラスがあります。しかも、材料を含め、すべて無料!
クラスの多くが事前に登録する必要があり、人気ですぐにいっぱいになってしまいますが、なんとかワイヤー・クラフトのクラスに参加することができました。
時間になると、まずは説明から。ワイヤーを使ってどんなことができるか、インターアクティブにやり取りしながら、講師がお手本を見せてくれました。それから、手順の説明。ことばだけでなく、すべてデモンストレーションしながらなので、よくわかります。
アート・カートから必要な材料を取って、めいめい適当なテーブルに座って、さっそく講師から受けた説明通り、対象を観察しながら輪郭を1本の線で描いていきます。鉛筆を画面から離さず、続けて描いていきます。
羽ばたく白鳥の写真を手本に、紙面を見ないで輪郭を描いていったのですが、いつの間にかずれて1羽のはずが、2羽になってしまっていました。前に座っていた人は、携帯で撮った自分の顔をスケッチしていました。その手際よさに、尋ねてみると、ジュエリー・アーチストだそうです。画面を見ないで描いていたのに、ずれることなく、きれいなセルフ・ポートレートを完成していました。
線画を描き終えると、次はワイヤーをスケッチの線に合わせて曲げていきます。うまく曲げられなかったので、トンカチでたたいて整えていると、アーチストが「たたくと針金が硬くなるわよ」と注意してくれました。さすがジュエリー・アーチスト!
できあがったものは、羽ばたく白鳥からはほど遠く、始祖鳥か、はたまたステゴザウルスか……。
ほかの人たちが作ったのは、ネコや立体的なリンゴや家などさまざまでした。作るものがさまざまなら、作り方もさまざま。周りの人たちと談笑しながら、あるいは、真剣に無言で。
隣に座った親切な女性がサンドイッチとジュースをくれたので、ありがたく頂戴し、あっと言う間に時間が過ぎていきました。机をシェアしたアーチストによると、これまでに参加したブライアント・パークのクラスの中で一番よかったということです。
作り終えると、講師が全員の作品を一つ一つ木のブロックの台に取り付けてくれましたが、「わたしのは鳥なので(鳥には見えないが)つるします」と言って、台に固定してもらわずに、そのまま持って帰り、うちでより鳥らしくしようとすればするほど、ますます鳥からほど遠くなり……。
講師によると、「ワイヤーを使って彫刻すること」は、「空間に描くこと」です。簡単なようで、なかなか難しい。作品の出来はともあれ、楽しかったです。
編み物のクラスは毎週水曜午後にあり、こちらも材料を含め、すべて無料です。
ジャグリング、ヨガ、太極拳、リボン・ダンス、ピンポンなどスポーツのほか、ブック・クラブ、詩の朗読、子供のための物語タイムなどいろいろなクラスやイベントが目白押しにあります。
園内には、新聞や雑誌、絵本を購読できるコーナーあり、またボードゲームや麻雀(なぜか年配の女性に多い)、チェス(ほとんどが男性)をするコーナーなどもあります。
新聞コーナー
朝の散歩のついでにコーヒーを買い、ここでゆっくりと新聞を読むのもいいですね。
雑誌コーナー
読み終わったあとは、元に戻すことになっています。
中央図書館の向かい側に2億ドルをかけて新装した図書館(スタブロス・ニアルコス財団図書館――3年たってまだこの名前が覚えられない…)には、ありとあらゆる雑誌のそろったコーナーがあり、いつも人が閲覧しています。
絵本コーナー
子供たちにはゲームをする場所や図画工作をするコーナーもあり、また魔法のショーや操り人形劇なども催されています。
椅子やテーブルも子供サイズでカラフルです。
回転木馬は、1回2ドルで乗ることができます。大人も乗れるのかどうか……大人が乗っているのは見たことがありません。
麻雀は、なぜか年配の女性に人気です。麻雀のパイ(英語ではタイルtileと呼ぶ)のどこかに英語が書かれていると思っていたのに、のぞいてみると、書かれていない! 漢字の読めない初心者にはすでに高いハードルが……。
ある夕方、たまたま通り過ぎたらダンス・パーティの時間で、音楽に合わせて大勢の人がダンスをしていました。相手がなく、ひとりで踊っている人も…。
ところで、園内のあちこちにゴミ箱が置いてあるのが見えますか? 以前は、ニューヨーク市当局は、ドラム缶をゴミ箱に活用していました。ゴミを入れるゴミ箱までがゴミだったのです。が、今は、洗練されたデザインになり、グリーンやブルーに彩られて、背景に溶け込んでいます。
冬は、アイススケート・リンクやカーリングのコーナーもでき、寒くなっても、年中人の足が途絶えることがありません。たくさんの小さなお店が並ぶウィンター・ビレッジがオープンし、ショッピングや食べ歩きをすることができます。
ブライアント・パークは、やはり市の公園・レクリエーション局が管轄していますが、運営に関しては、非営利の民間管理会社、ブライアント・パーク・コーポレーションに委託しています。出店のほか、周囲のビジネスから賛助金を徴収して豊富な資金を得、さまざまなプログラムを通して市民に還元しています。成功した都市公園の例として、各国から自治体の見学が絶えないそうです。
HIGH LINE
さて、年間800万人が訪れる人気観光スポット、ハイラインは、廃れた高架鉄道跡につくられたリニア都市公園で、これもまた民間の力によって実現しました。2人の有志が非営利団体の「フレンズ・オブ・ハイライン」を設立したのは1999年のこと。セレブのニューヨーカーたちも参画して募金活動が始まりました。2002年には当時のブルームバーグ市長の賛同を得て、設計チームを公募、1億5000万ドルの公私の資金を調達して第1期の建設工事が始まりました。最初の区間がオープンしたのは2009年のことです。以来、段階的に拡張していき、2014年に全区間がオープンしました。
ミートパッキング地区からチェルシー地区にわたる2.4キロの空中散歩道は、車の往来を心配することなく、安心して歩けます。途中で休憩できる場所も多々あり、ニューヨークの街並みを見渡しながら散策するのに最高です。あちこちに期間限定のアート作品が配置されています。
これらの作品は、全米芸術基金(National Endowment for the Arts)、ニューヨーク州芸術評議会、ニューヨーク市文化局からの公的資金によって支援されていますが、もちろん、個人や企業の寄付金もかなり占めています。
こちらは、スイス人アーチストのパメラ・ローゼンクランツによる「オールド・ツリー」です。
「生命の木が天と地をつなぐという無数の歴史的原型を生き生きと表現している。人間の臓器、血管、組織の枝分かれに相似しており、見る者に人間と植物の不可分なつながりを考えさせる。人類の進化における古代の叡智と、人工的なものが自然となる未来のメタファーを喚起する」と説明書きがありますが、読んでも、よくわかるような、わからないような。
でも、一度見たら忘れられないインパクトのある作品です。作者のローゼンクランツにとって、色彩は最も重要な要素だそうです。はっとするほど鮮やかな色がどこから見ても、際立って目を引きます。
ほかにも、いろいろな作品がハイラインに沿ってディスプレーされています。
ハイライン向かいにあるビルからのぞいている人物(?)がいったい何者なのか、謎のままです。
左手に見えるのは、ザハ・ハディド建築設計事務所の設計による集合住居ビル。
ベンチに腰かけている人は、このビルのスケッチをしていました。
散歩道には、レールを残した部分もあります。左手にあるのが、2019年に完成したシェッド。
パフォーミング・アーツ、ビジュアル・アーツ、ポップ・カルチャーなど、幅広いアート活動を紹介する場です。
拡張可能なシェルにより、スペースを伸縮させることができます。
ハイラインに委託されて制作されるアート作品は、アバンギャルドなものが多く、それゆえに新鮮でもあります。散歩中、スタンダード・ホテル、IACビル、シェッドなど有名な建築物も間近に見ることができます。また、西側のビルの合間からは、ハドソン川と向こう岸のニュージャージーを垣間見ることもできます。セントラル・パークのように、木洩れ日を浴びながら緑のあふれる中を散策する、というわけではありませんが、刺激的なアート体験のできる散歩道です。
Washington Square Park
ワシントン・スクエア・パークもおなじみの公園です。グリニッチ・ビレッジにあり、北側にあるワシントン凱旋門と中央の噴水がランドマークです。五番街は、この公園の北辺から始まり、ずっとまっすぐ北へ伸びています。五番街の右がイーストサイド、西がウエストサイドになり、番地も五番街から始まって、それぞれ東へあるいは西へ進むにしたがって数字が増えていきます。
クリスマスには、この凱旋門の下に大きなクリスマス・ツリーが据えられます。
ワシントン・スクエア・パークは、ブライアント・パークよりやや小ぶりで、3万6500平方メートルしかありません。それほど変わらないのに、なぜかブライアント・パークの方がずっと広く感じるのは、中心にある広い芝生面のせいかもしれません。
ワシントン・スクエア・パークもやはり市の公園・リクリエーション局の管轄下にありますが、ここもまたワシントン・スクエア・パーク・コンサーバンシーという非営利団体が、市当局や近隣グループと協力して、歴史的な都市緑地を美しく安全に保つための活動を行っています。
こうして公園を民間組織に委託するのは、民間の力を使って活性化するためだけでなく、行政が巨大化するのを防ぐためと、自在に資金調達をさせて公金の使用に歯止めを利かせるためが大きいと思われます。
ワシントン・スクエア・パークのあるグリニッチ・ビレッジは、以前からアーチストが多く住む界隈として有名ですが、やっぱり園内には自作のアート作品を売るアーチストたちを頻繁に見かけます。またミュージシャンもよく演奏していて、しばしば、こちらでギターを弾いているかと思えば、向こうでトランペットを吹いているといった具合に、いろいろな音楽が同時進行で流れています。ブライアント・パークやセントラル・パークでは、ストリート・ミュージシャンを見かけることはなく、園内で演奏するのは、委託されたミュージシャンのみです。おそらくワシントン・スクエア・パークでは、アーチストたちを自由に泳がせているのでしょう。園内では、喫煙、スケートボード、噴水での水浴びのほか、市警の許可なしにアンプを使って演奏することが禁止されています。ということは、アンプなしだと演奏してもいい――!? 数年前、ここへオーケストラの演奏を聴きに行った際にも、反対の隅でバンドが演奏して、音楽が共存していました。
余談ですが、ソーホーのウエスト・ブロードウェイにポータブルのテーブルを持って行って店開きしていたイラストレーターの友人とたまたま立ち話をしていたときのこと、「X月X日に警察の手入れがあるから、露店はしないように」ということが書かれたビラが配られてきました。警察とパイプのあるアーチストが情報を取り入れているのか、あるいは警察がわざわざ事前にこっそり通知しているのか、真相はわかりませんが、何にせよ、個々で独自に制作しているフリーランスのアーチストたちの間にも相互扶助の同盟意識があるようです。
道端で作品を売るアーチストがいなくなれば、ニューヨークらしさ、特にビレッジの界隈のおなじみの風景が消えることになり、さびしくなります。
ここでもやっぱりいろいろなプログラムが組まれていて、夏の間は、たとえば、火曜の夜は、産業革命と機械時代をテーマにした発明品の実演・展示、水曜の午後は子供たちのクラフト教室、土曜の午後は地元のクリエーターのアート実践教室などなど、毎日何かしらのイベントがあります。子供のための物語タイムや音楽教室など、子供向けのプログラムが多いことや、ドッグ・ランも2か所あることから、界隈に住む人たちの公園という位置づけなのでしょう。周囲にニューヨーク大学の校舎があるせいか、他の公園よりも若い人たちが多いように見えます。やや騒々しくて、のんびり休むことはあんまり期待できませんが、エネルギッシュで、元気をもらえそうです。
こちらは、ワシントン・スクエア・パークの東側にあるユニバーシティ・プレイスと呼ばれる通りに並ぶプロのアーチストのフェア。時々開かれています。
COMMUNITY GARDENS
さて、締めくくりは、コミュニティ・ガーデンです。コミュニティ・ガーデンとは、要するに「ご近所の庭」です。お隣さんたちが協力し合って庭づくりに励んでいるのです。プロのガーデナーが世話をしているわけではないので、どの庭もそれぞれ個性があって、ユニークです。
でも、たくさんあるからといって、市が率先して整備したわけではありません。
1960年代から70年代にかけて、ニューヨークは税収の減少や企業の倒産などで財政が悪化し、犯罪や破壊行為が横行していました。住宅ローンや税金の未払いから多くの建物が差し押さえられ、放棄されたり破壊行為にあったりして荒れ放題になった土地が目立つようになり、やがて、市民の間から、身の回りにある荒れ地を緑で飾ろうという草の根運動が始まったのです。
「グリーン・ゲリラ(Green Guerrilla)」という物々しい名の組織は、草花の種子や土、肥料などを詰めた「種爆弾」を廃墟や空き地に投げ込んで緑化運動を始めました。他にもいろいろなイニシアチブがありました。たとえば、「グリーン・サム(Green Thumb)」という組織も、やっぱり、公有地や私有地が放棄されて廃墟と化した空き地をボランティアがコツコツと改修したことから始まり、今ではコミュニティ・ガーデンと都市農業を支援しています。歌手のベット・ミドラーの立ち上げた「ニューヨーク復興プロジェクト(New York Restoration Project)」は、ロサンゼルスからニューヨークに引っ越してきて、ゴミの多さに驚いたミドラーが始めた組織です。市と協力して土地を買い取って整備し、地元の人たちが野菜を育てたり、運動したり、子供たちが遊んだりする場を提供しています。ほかにもいろいろ。
こうして、市民がイニシアチブを取り、コミュニティで協力して緑化に取り組むようになった結果、ビルの合間に、緑にあふれた庭が600か所近くもできました。まさに、ご近所の底力です。
ただし、このコミュニティ・ガーデンも、何度か存続の危機に見舞われたことがあるのです。市当局が公有地を再開発するために公売にかけたり、開発業者に住宅建設として売却しようとしたりしたことがありましたが、そのたびに地域の住民が反対運動を起こして守ることができました。今では、「コミュニティを築く貴重な空間」としてとらえられ、市当局もサポートするようになりました。
ビルとビルの谷間にこうした小さなコミュニティ・ガーデンがあります。
世話をしているのはご近所の皆さんですが、毎週決まった日時に公開し、ご近所の皆さんでない人たちも自由に出入りして楽しむことができます。
ニューヨーカーのほとんどが集合住宅に住んでいて、土に触れる機会はなかなかありません。お隣さんたちと交流しながら、土をいじって植物を育て、豊かな時間を過ごすことができるのです。多くの場合、ゾーンに分けて担当を決め、それぞれが自分のゾーンの庭づくりに励むようになっているようです。それがために、全体的な調和がしばしば欠けていて、椅子とテーブルが不釣り合いに多く置いてあったりします。先にも書いたように、庭造りをしているのはプロではないので、たとえば、茂みの真ん中になぜかお釈迦様(?)の像がデン!と置いてあったり、あたりには花が咲き乱れているのに、わざわざ切り花を生けた花瓶があちこちに置いてあったり、よくわからないワイヤーのオブジェが飾ってあったり……。でも、そのてんでんばらばら、野放図なところがご近所の庭の魅力なのでしょう。
また、ここでも、リサイタル、絵を描くクラスやクラフトのクラス、本を読んで感想を語り合うブック・クラブなど、人と触れ合ういろいろな手作りイベントが開かれています。コミュニティ・ガーデンで開かれた、だれの誕生日かも知らないバースデー・パーティやアマチュア・シンガーの歌うジャズの夕べに招かれて行ったことがありますが、お隣さんたちが集まっていて、楽しいひとときを過ごすことができるのです。中秋の名月の夜だったか、近所の人に誘われて行ったちょうちん祭りでは、コミュニティ・ガーデンを出発して、ちょうちんを持ってあたりを練り歩くのですが、いつの間にかちょうちんを持たない人までが加わり、列が長くなっていました。ビルの壁をスクリーンにして映画を上映しているのを見たこともあります。
即席舞台は木の陰にあって、見えません! 花壇の縁に座って、声だけ聞きました。
この庭ではリサイタルのほか、水彩の植物画のクラスや子供たちのための料理教室なども開かれています。
このコミュニティ・ガーデンでは、即席の舞台でミニ・オペラが開かれていました。
庭にある野菜畑の手入れをしに来た女性たちが大声でおかまいなしにおしゃべりしていて、でも、歌に聞き入っている人たちは気にもせず、雑音と音楽が共存していました。こういうざっくばらんさも、なかなかいいですよね。屋外の音楽は、何も襟を正して聴く必要はなく、風の流れ、土の匂い、遠くに響くパトカーや消防車のサイレン、人の話し声、近くの窓から流れてくる夕飯の匂いなど、すべてをひっくるめて楽しむのが一番!です。
「9丁目の庭」にある無料ライブラリー。読んだ本をシェアするのによい方法です。街のあちこちで見かけます。
こちらは、「ラ・プラザ・カルチュラル・デ・アルマンド・ペレス・コミュニティ・ガーデン」の無料ライブラリー
スタイヴェサント・スクエア・パークで見かけた無料ライブラリー
ニューヨークは物価が高くて大変でしょう、とよく言われるのですが、そんなことはない! 腰を上げてその気にさえなれば、あちこちの公園で開かれているアートやクラフトのクラスに参加できるし、ジムに登録しなくても、ヨガや太極拳やサルサやリボン・ダンスも学べるし、様々なジャンルの音楽会があるし、道端で演奏しているミュージシャンもいるし、そもそもがさまざまなアートの本物が惜しげもなく外に飾ってある!
1970年代、1980年代の、犯罪がはびこり、荒んだ時代からこのように公園がリバイバルしたのは、市の公園・リクリエーション局と警察のおかげだと市長が言いましたが、一般市民のイニシアチブと地道な活動も大きかったと思われます。公園は、憩いと交流と活動の場として、市民生活の大きな柱となっています。
撮影・文/桐江キミコ