ニューヨークの外を歩けば、必ずや遭遇するパブリック・アート。ビルのアトリウム、街角のスペース、広場、いろいろなところにパブリック・アートが備え付けられています。今回は、銅像やインスタレーションなど立体的なアートを見て回りましょう。
何年前のことだったか、日本から来た知り合いとイースト・ハウストンの大通りを歩いていたとき、知り合いがいきなりビルの上を指さして、「あれはだれ?」と聞くのです。その指先を追ってみれば、屋上に右手を挙げて立っている銅像がありました。が、ニューヨークに住んでいるからといって、ニューヨークにあるすべての銅像が誰のものなのか知っているわけがない。というより、ほとんど知らない。その社会思想的な趣をまとった銅像を見て、「毛沢東です!」とジョークでかわし、たまたま店から出てきた白衣のお肉屋さんを捕まえて尋ねると、ジョークは近からずも遠からず、「あれはレーニンだよ!」という返事が返ってきました。
資本主義国のアメリカの、しかも世界の金融センターであるニューヨークになぜまたレーニン像が?!
調べてみると、ソ連政府の依頼により制作されたもので、完成したときには共産主義政権が崩壊しており、放置されていたところを、このマンションビルのオーナーの共同経営者が見つけて持ち帰り、屋上に据え付けたということです。ウォール街に向けて備えたのは、強烈な風刺なのでしょう。
ビルが売却されたあとは、1ブロック南のノーフォーク通りに設置され、ご覧のように木陰に隠れて目立たなくなってしまいましたが、やっぱりウォール街に向けて据えられています。
金融界をけん制するかのようにそびえ立つレーニン像ですが、当のウォール街には、ニューヨーク証券取引所の真向かいに立って挑んでいる身長120センチの小さな女の子がいるのです。
その女の子というのは、「フィアレス・ガール(怖いもの知らずの女の子)」と名付けられたブロンズ像。彫刻家クリステン・ヴィスバルが資産運用会社の依頼を受けて制作しました。当初は、金融街のシンボルである「チャージング・ブル(猛進する雄牛)」像の前に据え付けられました。今にも襲いかかろうとする重さ3.2トンの牛の前で悠然と立ち向かう少女に、チャージング・ブルを制作したイタリア人アーチスト、アルトゥーロ・ディ・モディカは、「意思を強く持って頑張れば、どんな障害も乗り越えて成功することができるという”勇気”のシンボルが歪められる」と抗議し、少女は今の場所に移されたということです。
「証券のおじさんたちなんて何さ!」とでも言うように、たった一人で腰に手を当てて挑んでいる勇敢な女の子。思わずハイファイブしたくなりませんか。
さて、女の子がまず最初に立ち向かったチャージング・ブルですが、この雄牛にもなかなかユニークな生い立ちがあるのです。
実は、雄牛像の制作者のディ・モディカは、何も証券取引所に依頼されて制作したわけではありません。36万ドルの製作費を自腹を切って払い、40人もの友人たちの助けを借りてトラックの荷台に載せ、証券取引所前のクリスマス・ツリーの脇にニューヨーカーへのクリスマス・プレゼントとして置きざりにしたのです。まさにゲリラ・アートです。
翌日、警察は不法に置かれた雄牛像を押収。メディアは大騒ぎ。けれど、市民の強い要望により、ニューヨーク市は、雄牛を取引所近くのボウリング・グリーンに再設置したのです。以来、この雄牛像は、ニューヨークの観光スポットとして毎日何千人という人が訪れるようになりました。
ディ・モディカいわく、「言いたかったのは、がんばりさえすれば自分の力で何でもできるということ、要は、気を強く持たねばならないということだ」
こうしてチャージング・ブルも怖いもの知らずの女の子も、いつも写真を撮る大勢の観光客に囲まれています。が、訪れる人もおらず、たったひとりでぽつんと空を見上げる少年がいるのです。
それは、五番街にある「星の王子様」のブロンズ像です。フランス語の本を扱っているアルベルティーヌ書店の脇にあります。世界でこれまでに2億冊も売れた大ベストセラーであるサン=テグジュペリ著の「星の王子様」出版80年を記念して、フランス人彫刻家、ジャン=マルク・ド・パが制作したものです。ル・スヴニール・フランセのアメリカ協会がアントワーヌ・ド・サン・テグジュペリ・ユース財団と協力して実現しました。
「星の王子様」は、1942年後半、アメリカに亡命中のサン=テグジュペリがニューヨークで書き記し、翌1943年にアメリカの出版社によって出版されました。
このブロンズ像は、設置されたばかりでまだあまり知られておらず、ひっそりとコンクリ壁に腰かけて空を見上げています。
さて、アスタープレイスには、やはり人々の要請によって常設となった、おなじみの重さ1トン近くもするパブリック・アート作品があります。
抽象彫刻家のトニー・ローゼンタールの「アラモ」です。地下鉄の駅を出たところにあり、待ち合わせのための目印になっています。押すとくるくると回転させることもできます。
アスタープレイスというと、ああ、あのキューブと連想するおなじみのアートとなったわけですが、1967年に設置されたときは、6カ月の限定期間の予定だったのです。近隣市民の陳情により常設が決まり、半世紀余りにわたり人々に愛されてきました。ニューヨーク大学やセント・ジョン、クーパーユニオンなどの大学がある若い人たちの界隈で、今では、キューブの周りは、椅子やテーブルが置かれた広場になり、ランチを食べたり、おしゃべりしたりする人々の憩いの場にもなっています。おかげで立って待ちぼうけすることもなくなりました。
はたまたこの界隈のビルの中には、世界的に有名なアーチストの作品が……
知る人ぞ知るジェフ・クーンズのウサギがいるのです! 最初に見たときは、目を疑いました。美術館でなくて、商業ビルのホールの中にいる!
ところが、写真を撮りに行ったとき、ウサギはビニール袋に入れられていました。受付の人に尋ねると、引っ越しではなく、クリーニング中だということです。
でも、ビニール袋に入れられたウサギも、なかなかおもしろいですよね。クーンズが見たら、このままにしてくれと言うかも……
後日訪れると、今度はピカピカになったウサギがいました。
高さ4メートル余りもある巨大なウサギは、IBMワトソングループ本社も入っているビルの中にありますが、外からも見えるように設置されています。ビルを所有する不動産会社によると、鏡面研磨されたステンレススチールに透明なカラーコーティングを施したこの作品は、反射する表面によって、鑑賞者が作品の重要な一部となるということです。クーンズ自身も、「あなたが動くと反射面も変化する。アートがあなたの中で起こっていることを知ることができる」と言っています。
クーンズが1986年に制作した高さ90センチのウサギ(色はシルバー)は、2019年に9100万ドルで落札され、存命中のアーチストがオークションで落札した最高額記録を樹立したということです。この記録は2024年1月現在まだ破られていません。
さて、このビルの裏側には、グリーンのスチール像が信号の脇に設置されているのですが、これは、てっきりニューヨーク市の交通局が「ちゃんと横断歩道を青信号で渡りましょう」と促すために設置した標識だと思っていました。(何しろ、ニューヨーカーは、信号も横断歩道も無視してJウォークする!)
ところが……
これはあの名立たるアーチスト、ストリート・アートの先駆者ともいえるキース・ヘリングのセルフ・ポートレートだったのです!
オリジナルは、高さ約1.5メートルのアルミニウムにポリエチレンのエナメルを塗装した作品です。ヘリングが他界するちょうど1年前に制作され、死に直面しながら前向きに力強く生きるアーチストの大胆さを表現しているということです。確かに、「現在進行形」のメッセージが伝わってくるようですね。
ここセントマークス・プレイス界隈はヘリングにゆかりの深いエリアで、セルフ・ポートレート像を設置するにふさわしいロケーションです。
さて、ミッドタウンの国連に近いビジネス街には、3人のバレリーナが登場しました。
カバとサイの3体のバレリーナたちです。期間限定の展示ですが、ミッドタウンのビジネス街のややもすると殺風景なビルの通りが、3人(?)のおかげで一気に楽しくなっています。
デンマーク人アーチスト、ビョルン・オホルム・スカーラップの作品で、かの有名なドガの彫刻「14歳の小さな踊り子」とウォルト・ディズニーの映画、「ファンタジア」に出てくる踊るカバにインスパイアーされたということです。
「忘れ去られつつある美術史のテーマを活性化させる楽しい方法は、みんなが慣れ親しんでいる動物の寓話を通すことだと思う」とスカーラップは語っています。
「自然と文化の間の奇妙で超現実的な出会い」を表したというカバレリーナたちは、芸術とは、頭で考えるものだけでなく、見て聞いて触れて楽しむものも芸術だと間口を広くしてくれるような気がします。もし、ミロのビーナスやロダンの「考える人」のような彫像ばかりで埋め尽くされていたら、息苦しいですよね。
それにしても、重い体を懸命に支えてポーズを取っているカバレリーナを見ると、なんだか「見習ってがんばろう!」と前向きな気持ちになりませんか。
そして、パーク街にはピンクの巨大モンスターが・・・
この身長約6メートルの巨大なモンスターは、アメリカ人アーチスト/デザイナーであるKAWSことブライアン・ドネリーの造ったキャラクター、BFFです。パーク街のオフィスビルのロビーにそびえ立っています。
パーク街には高層ビルや超高級マンションが建ち並んでいますが、このビルはBFFの一度見たら忘れられないインパクトの強さのおかげでひときわ目立った存在になっています。
KAWSは、90年代にグラフィティ・アーティストとしてスタートし、やがて限定版のおもちゃや衣料品のデザインも手がけるようになり、多分野で活躍するようになりました。商業と芸術の間の微妙な線引きのおかげで、辛口の批評をする専門家もいなくはありません。でも、その遊び心は世界中の人々にことばの壁を越えてアピールします。
KAWSは、世界各国の美術館やギャラリーで展示を行っており、国境を越えて評価されるアーチストに違いありません。
ここからグランド・セントラル駅の南側に回ると、パーク街のマレーヒル界隈には、超リアリスティックな水着の女性像がずらりと勢ぞろいしました。マレーヒル地区の町内会の分会で、パーク街(34~39丁目)の景観づくりを担当するPOPA(Patrons of Park Avenue)がギャラリー・バルトゥと協力して実現した野外展示です。
かわいい鳥の巣箱に注目!
すごくリアルです。しかもみんな美女ぞろいです。思わず見とれて、車の事故につながらないか本気で心配しました。
アメリカ人彫刻家のキャロル・A・フォイアーマンの作品です。作者のウエブサイトによると、1970年代後半にハイパーリアリズム運動を始めたとされる3人のアーチストの一人で、リアルに彩った野外彫像を制作する唯一のアーチストということです。フォイアーマンは、水着像の披露式にショッキング・ピンクのパンツスーツ姿(靴も真っピンク!)で登場しました。
最後の作品は、展示された中で唯一、水着でない作品ですが、雨が降っていても、気分はさわやか。顔に雨粒が当たるのを楽しんでいるみたいに見えます。嫌なことも逆手を取って楽しんでしまおうという心持ちこそ幸せの秘訣ですよね。見るだけで気分が明るくなる作品です。
そして、タイムズ・スクエア界隈には、泳ぐクジラが出現しました。
タイムズ・スクエア南にあるブロードウェイ・プラザに出現した長さ17メートル、重さ5トンの巨大なクジラ。題して「反響ー未知の海からの声」
ロンドンをベースに、アーチスト、デザイナー、リサーチャー、ミュージシャンと複数のわらじを履いて国際舞台で活躍するオーストリア人のマティアス・グマークルによる音と光のインスタレーションです。クジラは、にぎやかなタイムズ・スクエアに向け、ニューヨークの喧騒の海を泳いでいます。でも、クジラに触れると、静かな水の中を思わせるメロディックな音の風景に出会えるのです。地球についての会話に火をつけることを目したというインスタレーションは、ニューヨーク市交通局のアート・プログラムの一環で、残念ながらひと月の限定でしたが、このプラザには常に何らかのインスタレーションがされています。
そして、やはり期間限定の光のインスタレーションがブルックリンとクィーンズを背景に繰り広げられています。
イギリス人アーチスト、ブルース・マンローによる「光の草原(フィールド・オブ・ライト)」がそれです。
ここは、雨が降るとしばらく沼地になり、国連総会の開催中は警備隊が張り込むという空き地です。カジノを建設する計画でしたが、近隣の住民の反対により計画が流れたこともあり、住民への懐柔策か(?)とも思われるのですが、それはさておき、夜になると2万5000平方メートルの土地に1万7000もの光の花がいっせいに咲きほこり、壮麗な風景が繰り広げられるのです。このインスタレーション開催中の1年は、光の花が咲き輝くことになります。
さて、おなじみのロックフェラー・センターの五番街入り口には、いろいろなパブリック・アートが取っ替え引っ替え設置されるのですが、アメリカ人アーチスト、ロバート・インディアナのLOVEが戻ってきました。
ロックフェラー・センターとロバート・インディアナ・レガシー・イニシアティブとのパートナーシップでニューヨークのランドマークにひと月限定で戻ってきたのです。この前で記念写真を撮る人があとを絶たず、写真を撮る瞬間を見つけるのに苦労しました。LOVEの向こうには、プロメテウス像が見えます。
高さ約3.7メートルのポリクローム・アルミニウムのこの作品は、1971年にニューヨークのセントラル・パークで初めて展示されたということです。
ニューヨーク市文化事業局のローリー・カンボ局長は、LOVEの披露式典でこう語っています。
「私たちが住んでいるニューヨーク市は、歩いていると、コンクリートだらけの同じブロックの繰り返しを何度も見ることになります。けれど、ふと見上げ、“LOVE”の彫刻のような美しい芸術作品が目に飛び込んでくると、ワクワクした気分になったり、心に光が射し込んだり、愉快な楽しい気分になったりできます。それこそがパブリック・アートなのです」
確かに、鉄とコンクリの街に至るところに存在するパブリック・アートがなければ、ニューヨークは、無味乾燥な大都市になっていることでしょう。ニューヨーク市当局のさまざまな部署、民間企業、非営利団体、地元の住民たちの組織の尽力のおかげです。
歩いていると、街角で、ビルの谷間で、広場で、思ってもみなかったところでアートに出合います。宝探しをしているわけでもないのに、宝を見つけたみたいな気分です。そのたびに、ああ、きれいだなあと心が澄んだり、ああ、すごいなあと感動したり、ああ、おもしろいなあと楽しくなったり、忙しいのです。
足の向くまま気の向くまま歩いてアート巡り――ニューヨークの愉しみのひとつです。
撮影・文/桐江キミコ