旅する感覚でアートを楽しむ“FUNART JOURNEY”
海外の日常にあるアートの楽しみ方などを現地からのレポートでお届けします。
今回はトンボ鉛筆の生産拠点の一つであるベトナムから【ライティウ焼きのいま、むかし】をテーマにベトナム,ホーチミン市在住のノモトアカネが旅人と住人の視点でお伝えします。
ベトナム南部の大都市ホーチミンの6月は、雨季まっただ中にあります。スコールに街全体が洗い流される音を聞いて、日が差してきらきらと輝く緑をみると、なんだかさっぱりした気分になります。
ベトナムというと、涼しげなシルク地のアオザイや、色とりどりのランタン、手編みのかご製品など様々な伝統手工芸品がよく知られています。
今回は、かつてホーチミン周辺地域で盛んにつくられ、人々の暮らしのなかの身近な道具として馴染んできた、「焼き物」をめぐるお話です。ベトナム南部における陶器づくり文化の「むかし」と「いま」を覗き、その魅力をさぐる旅に出ましょう。
1.ベトナム社会主義共和国について
ベトナムはインドシナ半島の東側の沿岸に位置し、南シナ海に面する東南アジアの国です。北部から西部にかけて中国、ラオス、カンボジアと国境を接します。
南北に細長い国土であるため、北は温帯、南は熱帯の気候と異なる自然環境下にあります。自然環境だけでなく、今回の舞台である南部地域は、歴史や文化的にも北部とは大きく異なる道を歩んできました。
ベトナムの国家としてのはじまりは、1802年に中国の清を宗主国とする阮(グェン)朝が初めて現在のベトナム全土を統一し、国号を「越南」としたことにさかのぼります。古くから中国との結びつきが強かった北部に対して、南部ベトナムは1850年代末頃のフランスのインドシナ出兵(仏越戦争)の折に全国で最も早くフランスの植民地となった地域でした。当時から、現在のホーチミン市中心部は「サイゴン」としてフランス文化の影響を数多く受けて発展した街でした。そして20年にわたるベトナム戦争後南部解放というかたちで1976年にベトナム社会主義共和国が成立します。
南部のなかでも東南部地域は、ベトナム第一の都市ホーチミン市の他に、近年海外企業の参入が活発な工業都市であるビンズオン省やドンナイ省から成り、国内で最も急速な経済発展を続けている地域です。いまこの瞬間にも工場や大型商業施設、高層住宅ビルが続々と建設されており、かつて中国やフランスといった異国文化の影響を大きく受けてきたサイゴンの街並みも、急速に変わりつつあるようです。
そのような激動の歴史を歩んできたベトナム東南部地域で、なぜ陶器が盛んに作られるようになったのでしょうか?その発展の謎を紐解きましょう。
2.ベトナム南部(東南部)における陶器づくり
南部ベトナムのなかでも東南部地域は、陶器づくりに欠かせない木材や薪などの森林資源や、粘土、カオリナイト鉱物が豊富に産出され、古くから陶芸文化が盛んな地域でした。
特に、商品流通の要でもあったサイゴン川とドンナイ川を挟んで三角形に位置するビンズオン省、ドンナイ省、サイゴンは、多くの職人があつまり、ベトナム南部における「陶器の3大名産地(トライアングル)」として知られてきました。
華僑の職人たちが各々の技術と土地の資源を使って陶器づくりをはじめ、やがてビンズオン省の「ライティウ焼」(注1)、ドンナイ省の「ビエンホア焼」、サイゴンの「カイマイ焼」として生産地ごとの特徴を確立しました。まさに民芸品です。
注1)ライティウ焼の起源は古く、比較的新しい時代のものはビンズオン省一帯の旧地名から「ソンベー焼」と呼ばれて区別されることもあります。
「ライティウ焼」
これらの地域における製陶業の歴史は古く、その起源や分化点など明らかになっていないことも多いそうですが、ビンズオン歴史科学協会(2012)によると、この中でも特にビンズオン(旧ソンベーの地)は粘土やカオリナイトの産出量が多く、少なくとも19世紀半ばに家庭向け食器がつくられ始めました。
20世紀初頭にサイゴンの陶芸技術も加わり、地域ごとの流派はゆるやかに融合し、ライティウ焼は全国に流通するようになります。1950~60年代には、それまで主流であった日常使いの食器に加えて、繊細な装飾が施された彫像や象の台座、鉢といった、美術品としての陶器の生産と国外輸出も始まりました。
しかし次第にベトナム戦争が泥沼化し、南部解放時には既にライティウ焼は国内外の市場を損失します。手作業中心の伝統的な製造方法は、低価格な中国製の陶磁器やプラスチック製品に太刀打ちできず、さらには薪窯から出る煙による環境汚染の問題も後追いし、困難な時期を迎えたのです。
今日、古くから続く窯元はその数わずかとなっていますが、政府の製陶業発展支援策による後押しもあり、デザインや釉薬の色、装飾などの新たに多くの技術開発に力を入れる企業の出現もみられ、ふたたびその競争力を強めようとしています。
3. ライティウ焼ができるまで
1.形をつくる
地域ごとに成分が異なる赤や白の土がありますが、ライティウ焼の食器には一般的にカオリンが豊富な白い土が使われます。土を水で練った粘土を成形ろくろにセットした石膏型に入れ、機械と手のひらや指で押しながら形を整えます。
2.乾燥させる
天日干しと石膏による水分吸収によって粘土が固まり、型から取り外すことができます。
3.釉薬(ゆうやく)をかける
水に粘土や灰などをまぜた釉薬を素地にかけます。これによって後に焼いたあと、陶器に耐水性や光沢が出ます。
4.絵付け
釉薬に顔料を混ぜたものを筆や刷毛にとって絵付けを行います。他の工程が機械化しても、絵付けだけは変わらず職人の腕次第です。非常に細やかな作業はまさに職人技です。
ライティウ焼きの食器は当初、力強く素朴な形状と、コントラストのきいた色彩で描かれるニワトリやカニ、魚、バナナの木、花といったベトナム南部の家庭や農村なかの身近な実像をモチーフとした素朴なかわいらしさが特徴でした。なかでも農村家庭の大切な財産であり、強さや健康の象徴とされてきたニワトリが描かれた皿や碗は、“Bat dia con ga(鶏の器)”として20世紀以降のライティウ食器の代表的なモチーフとして広く有名になりました。
一方で、フランス統治の時代に入ると、ヨーロッパ風の配色やパターンに影響を受けたデザインが取り入れられ、そのバリエーションは非常に多様でした。さらにその後は同一の色や図柄が入ったデザインの皿が多く出回った時期もあったそうです。まさにベトナム南部の時代の移り変わりを、そのデザインに色濃く映しています。
5.窯で焼く
約1130度の電気窯で12時間焼く。温度は、色や形に大きく影響するため調節が重要です。伝統的な登り窯を使う場合は、熱が上に昇る性質を利用して一度に大量に焼くことができますが、薪を原料とすることや気候に影響を受けやすく、より温度調節が難しいようです。焼きあがった陶器は、粘土素地のマットなアイボリー色から、艶のあるクリーム色のような色合いに仕上がります。
ライティウ焼の器をよくみると、ポツっとした3つの突起や、微妙なゆがみ、色むらがみられることがあります。3つの突起は、窯の中で器を重ねて焼く時に、釉薬で器どうしがくっつかないように、器の底に丸めた粘土のピンを取り付けた跡です。また、ゆがみや色むらは、粘土成分や、窯内での配置による温度のわずかな差によって生まれるものだそうです。伝統的な薪窯であれば尚更、天候や外気温などの自然条件の影響を受けやすく、器ごとの違いが生まれやすくなります。しかし、こういった見た目の「不完全さ」こそ、ライティウ焼の器ならではの特徴であり、あたたかみのある色合いと相まってよい味わいに感じられるのです。
4.暮らしのなかのデザイン ―メコンデルタの田園風景とライティウ焼
ライティウ焼きは、家庭用食器からはじまったといわれるように、つい数十年前まで暮らしのなかに“普通に”みられるものでした。友人をつてに昔ながらのライティウ焼の器を使っている人を探しましたが、「子供のころ、家にこのような器があった」という声は聞くものの、なかなか出会えずにいました。そんななか、ホーチミンで働いているベトナム人の友人から「田舎に住むおばあちゃんが持っている」と聞き、メコンデルタ地方の村に住むそのおばあちゃん一家に会いに行く機会を得ました。
ホーチミンから南方へバスや車を乗り継いで5時間、緑にきらめく水田に囲まれた村のお家で、ご家族はおいしい料理を用意して出迎えてくれました。ヌックマムや胡椒味が効いた豚の角煮とサボテンの炒め物は炊きたてのお米がすすみ、じっとりと暑いこの土地の気候の中でも力がわいてきます。ですが食卓に並ぶ食器はどれも白地の薄く軽い形状のもので、どうやらベトナム南部の陶器皿ではないようでした。
食後、81歳になるチアおばあちゃんの味わいあるキッチンから取り出してきてくれたのは、ライティウ焼きを代表するデザインの「鶏の器」でした。
その昔、おばあちゃんが村から離れた市場で買ったものだそうです。長年、炒め物などの料理を盛ったりするのに使ってきたそうですが、いまではもっと軽くて凝ったデザインの食器であふれており、この鶏の器の出番もかなり減っているのだそうです。しかし、器の艶は変わらず美しく、ひとつの欠けや絵のかすれもなく、おばあちゃんの長い暮らしの中で大切に使われていたこともわかります。
次の日の村の市場は朝早くから新鮮な野菜や魚、カニなどが並び、バイクで買いに来たお母さんたちで賑わっていました。
そしてどこの庭にもバナナやパパイヤの木が生え、ニワトリが自由に歩き回っています。
家庭から姿を消しつつある昔ながらの南部陶器に導かれた先で、かつての陶器職人たちも目にしてきたであろう人々の暮らしの原風景を見ることができました。
5.いま、出会える場所
◆Vuon Nha Gom(ブオンニャーゴム)/ Home & Garden Pottery【学ぶ】【つくる】【買う】
ホーチミン市から車で約30分ほどのビンズオン省ライティウ地区にあるこちらの陶芸園では、南部地域の伝統的な陶器製品の保管、維持、開発に取り組んでいます。工房では家庭用食器からガーデニング雑貨、建築資材まで幅広い陶器製品の製造や販売だけでなく、年間を通して一般客向けの工房見学や手作り体験教室など多くのイベントが行われています。都心から少し離れた木々に囲まれた美しい庭で、気軽に楽しく、南部陶器づくりの「いま」を学ぶことができる場所です。
陶芸園「Vuon Nha Gom」ホームページ
◆Kito(キト)【学ぶ】【買う】
「直感で選んで、買ったら、大切に使ってください」。
陶芸への愛と造詣が深いご店主と日本人の奥様が営む品揃え豊富なこちらのベトナム雑貨店では、ライティウ焼やビエンホア焼をはじめとする南部陶器のアンティーク品を保存、販売しています。代表的モチーフである花や鶏が描かれた器はもちろん、陶芸文化が渡来した初期の頃の中国色の強い迫力のある壺や彫像から、フランス統治時代の色とりどりのヨーロッパ調の柄の平皿、質素な色調と絵柄の器まで、時代とともに移り変わってきた南部の陶器を一度に目にすることができます。タイミングがよければ、店主ご夫妻から時代背景や地域ごとの特徴の違いなど興味深いお話を聞くこともできるかもしれません。
◆Song Be(ソンベー)【買う】
近年おしゃれカフェや雑貨店があつまる人気エリアとして有名なホーチミン2区のタオディエンにある、こちらもアンティークの食器や花器を中心に販売するお店です。白壁とガラス窓に囲まれたコンパクトな店構えと木棚に並べられた素朴でかわいらしい器に心が躍ります。小ぶりで持ち帰りしやすい豆皿や茶わん、一輪差しなどもあり、お気に入りのひとつに出会えるかもしれません。
◆Tuhu Ceramics(トゥーフーセラミックス)【買う】
「ソンベーの地(現ビンズオン省)の伝統的な陶器づくりに現代的な精神を吹き込み、文化と伝統の継承に取り組む」。2017年にクリーム色の地にコバルトブルーの手描きの幾何学模様が美しい「The Color is Blue」シリーズで人気を博し、以降、“ニュー・ソンベー”の家庭用陶器ブランドとして多くのファンを魅了してきました。2区タオディエンの静かな路地の奥にひっそりとたたずむ店舗には、お手頃な価格で魅力的な器が所狭しと並んでいます。爽やかなグリーンとやさしいタッチの絵付けが目を引く「Summer centella(夏のツボクサ)」シリーズは、熱帯の南部ベトナムらしさを感じます。
Tuhu Ceramics ホームページ
ホーチミンや全国の観光地にあるカフェや飲食店では、こういった“ニュー・ソンベー”の器を数多く見られます。昔ながらのあたたかみのある落ち着いた地の色合いはそのままに、伝統的な花柄や爽やかな青のモダン柄は、様々なおいしい料理をさらに引きたてます。
さいごに
中国からの職人と技術。ベトナム南部の資源や、風景、人々の暮らし。そして時にはヨーロッパ風のデザイン。長い歴史のなかでこれらがゆるやかに融合して、ライティウ焼という「ベトナムらしさ」を形づくり、生業として、また道具として人々の暮らしに深く結びついてきました。そのデザインは、長く厳しい時代のなかで移り変わってきましたが、人々の心に“癒し”や“力”といったポジティブに働きかけるものであったことはずっと変わりないのかもしれません。
国際競争の波にライティウ焼もまた革新を余儀なくされましたが、昔ながらの精神や魅力を上手に伝え引き継ぎながらも現代の家庭や飲食店にあったデザインですでに多くの人に受け入れられ、新たな関係を築き始めているように感じました。この先、どんな新しさを取り入れたライティウ焼がうまれてゆくのか楽しみですね。
ベトナム南部の陶器づくりをめぐる旅、いかがでしたか。急速に経済成長を遂げるこの国で、おそらく今しか見ることのできない風景もあるでしょう。いつか実際に訪れる機会がありましたら、おいしい料理とともにぜひ器などにも目を向けてみてください。
(参考)
ベトナム南部陶器、特にライティウ陶器の歴史と生産方法、特徴については、主に「ビンズオン省歴史科学協会」の下記資料と2023年6月にビンズオン省の陶芸園「Vuon Nha Gom」でおこなった取材内容をもとにまとめました。
「ビンズオン歴史科学協会」によるライティウ焼に関する記述(2012年):http://www.sugia.vn/portfolio/detail/637/gom-lai-thieu.html
撮影・文/ノモトアカネ(トンボ編集室)