今回は、アメリカのパッケージについてです。主にお菓子のパッケージに注目してみます。
アメリカの子供たち(おとなも)の大好きなお菓子の多くが100年ほど前、もしくはもっと前に生まれました。なぜ19世紀後半から20世紀前半にかけて多くのベストセラーのお菓子が生まれたのか、それには後で述べる歴史的な理由があります。100年以上にわたって市場に出回ってきたお菓子のパッケージは、オリジナルとほぼ変わらず、見ただけでそれとわかるお菓子の“顔”となっているものも多々あります。いくつか見てみましょう。
WHITMAN’S SAMPLER
テレビで1930年代の古い映画を見ていたとき、夫が入院中の妻へ差し入れに持って行ったチョコレートの箱を見て、驚いたことがあります。それは、ひと目ですぐにわかるホイットマンの「サンプラー」という詰め合わせのチョコレートの箱で、今のものと変わらなかったのです。「サンプラー」の発売は、1912年にさかのぼりますが、今なお、アメリカで最も売れている箱詰めチョコレートの一つです。

ホイットマンは、1842年、南北戦争の始まる20年も前(江戸時代!)にフィラデルフィアにオープンしたお菓子屋さんです。「サンプラー」は、店の人気のチョコレートを詰め合わせたものです。
箱のデザインは、当時の社長のおばあさんがこしらえたクロスステッチの刺繍見本(サンプラー)から着想を得ています。そのむかし、女性たちは、刺繍の技術を学んだり披露したりするために、さまざまな刺繍のステッチを駆使したサンプラーを作りました。
また、「サンプラー」という名前は、中に入っている様々なチョコレートを少しずつサンプリング(試食)するという意味にもかけています。

1831年制作、作者不明のサンプラー スミソニアン・デザイン博物館クーパー・ヒューイット所蔵(wikimedia commonsより/public domain)
サンプラー(刺繍見本)は、花や動物、聖書の中のエピソード、アルファベットなどをモチーフにした装飾的なパターンがよく見られます。ホイットマン社は、収集した575点ものアンティークのサンプラーをフィラデルフィア美術館に寄贈しています。その中には、チョコレートの箱のデザインの元になったサンプラーも入っているということです。
ちなみに、チョコレートを食べてしまった後の空箱は、針やシンブル(指ぬき)など小物の裁縫道具入れにぴったりです。何軒かの家庭でこうした使い方をしているのを見かけたことがあります。

OREO
こちらは、アメリカで最もポピュラーな(最も売り上げの高い)クッキー、「オレオ」。
ココアのクッキー2枚にバニラのフィリングを挟んだクッキーです。
オレオのパッケージは、マスコット・キャラクターなどの助っ人も不必要。どれもオレオ・クッキーが主人公です。認知度の高い商品そのものがパッケージの全面に出て購買意欲を高めます。

オレオは、ココアクッキーにあまいクリームを挟んだサンドイッチ・クッキーです。子供たちはよくミルクに浸して食べます。
バニラのアイスクリームに砕いたオレオを混ぜた Cookies ‘N Cream は、人気のフレーバーです。
パッケージの外見は新しくとも、オレオ・クッキーの歴史は古く、1912年3月6日、ニューヨークのチェルシー地区にある近代的な工場で製造が始まりました。メーカーは、1898年に合併によって設立されたナショナル・ビスケット・カンパニー(ナビスコ)です。以来、1世紀以上にわたるロングセラーでしかもベストセラー。
オレオのパッケージの100年に渡る変遷は、この映像で見ることができます:
100 Years of Oreo Packaging Design Bizongo Desworks

オレオ・クッキーのデザインは、ロレーヌ十字(ナビスコ社のロゴ)、放射状の線、幸運を示す四つ葉のクローバーが特徴となっています。これは、1952年に考案されたデザインで、1912年の発売当時よりもより複雑で、装飾的なものになっています。
Wikipedia より(public domain)

ニューヨーク・セントラル鉄道のウエストサイド貨物線は、ナビスコ工場ビルの中を通り抜けていました。このため、貨物列車が原料を工場へと運び込むことも、製品を積み込んで送ることも容易にできました。ナビスコのこの工場は、今では外食やショッピングを楽しめるニューヨークの人気スポット、「チェルシー・マーケット」となり、高架鉄道は、街並みをながめながら散策を楽しめるプロムナードへと生まれ変わりました。
ナビスコ工場ビル 1913年頃(出典:アメリカ議会図書館)
商品以外に説明の要らないオレオのような商品ならともかく、子供のお菓子や食べ物のパッケージには、しばしばマスコット・キャラクターが登場します。キャラクターは、ブランドに親しみやすく共感できる「顔」をつくります。文字やロゴよりも覚えてもらいやすく、ブランド理念を視覚的に伝え、認知度を高める働きもします。また、たくさんある商品の中で、パッケージを際立たせ、注目を集める効果もあります。
アメリカのマスコット・キャラクターは、表情が豊かで、エネルギッシュ、記憶に残る大胆な色彩や特徴的なデザインで目を引くようにデザインされています。
LUCKY CHARM
子供用のシリアルには、必ずやマスコットが登場します。シリアルの「ラッキー・チャーム」には、レプラコーンのラッキーが大きく描かれています。

レプラコーンとは、アイルランドの伝説の妖精で、本職は靴修理屋。いたずら好きで知られ、「金の壺」を虹の果てに隠しているということです。
「ラッキー・チャーム」は、1964年生まれの定番シリアルで、ハート、星、クローバー、ブルームーン、ユニコーン、虹、赤い風船、蹄鉄の形をしたカラフルなマシュマロが入っています。
商品のアンバサダー役になっているマスコット・キャラクターは、ことばなしに視覚的にメッセージを伝えなければならないため、ややもすれば大げさな表情や大胆なジャスチャーが特徴になっています。

PILLSBURY’S DOUGHBOY
日本では個性的なキャラクターに強く押し出されるのを嫌われるのか、アメリカのキャラクターに比べると表情がおとなしいものが多いのですが、生意気な感じのキモカワ系が目立つアメリカにも例外があります。そのひとつがピルズベリーのドウボーイです。

ドウボーイは、1965年生まれ。生の生地でできていて、くすぐったがり。ふわふわしていて、今年で61歳なのに、永遠の若さ。いつもシェフ帽とネッカチーフを身に付けています。有名なベーキング・ブランド、ピルズベリーのケーキミックスや冷凍ビスケット生地などの製品のパッケージには、どれにもドウボーイが登場します。ドウボーイが目に入るやメーカーがわかるというアンバサダー役を勤めています。
こちらはドウボーイの登場するCMです: Pillsbury Crescents Commercial (2025)
PEEPS
さて、イースターが近づくにつれ、店頭に現れ始めるのが、ウサギとヒヨコの形をしたマシュマロのピープスたち。いっぺんに店頭が鮮やかになります。

薬局のお菓子コーナーに並ぶピープスたち。店先から春の到来です
ピープスは、1908年創業の菓子メーカーが1940年代に製造を始めました。当初は手作業で1匹こしらえるのに、27時間もかかったとか。今では工場で大量生産しています。
こちらのパッケージは、製品のピープスそのものが見えるように、透明プラスチック・フィルム(主にポリエチレン)で気密包装しています。
ピープスを見た日本のマシュマロ・メーカーが「いったいどうしたらこんな色ができるのか…」と絶句したことがあります。
確かに、ピープスは口に入れるのがはばかれるようなけばけばしいネオンカラー。それにしても、スーパーに並ぶ食品のカラフルなことといったら、虹色のベーグルもあり、原色の子供のバースデーケーキあり…。


長年、こうしたカラフルなシリアルやお菓子が流通してきたアメリカですが、現政権のイニシアチブにより、各メーカーが人工着色料を廃止することを表明しました。スキットルズやM&M’S、スターバーストなどのカラフルなお菓子も、今年中には合成着色料が不使用となります。
ただし、ほんの少しで色を付けられる人工着色料に比べ、自然の着色料は大量に使わないとなかなか思うように色付けられないこともあり、味が変わってしまう可能性があります。ということは、ひょっとしたら、この1~2年のうちに、シリアルもチョコレートも、鮮やかな色から淡いパステルカラーに変わるかも(?)
M&M’S
さて、カラフルなお菓子といえば、すぐに連想するのが、お菓子の代表格のM&M’S。アメリカで最もポピュラーなお菓子です。このM&M’Sには興味深い誕生の歴史があります。

M&M’Sが生まれたのは、1941年のこと。実は、一般市場でなく、軍隊向けに、溶けにくいチョコレートを開発したのが誕生の由来です。キャッチフレーズは、「手の中でなく、口の中で溶ける(melt in your mouth and not in your hands.)」 シュガーコーティング(糖衣)技術で溶けにくくしています。
当初は、アメリカ軍専用に持ち運びに便利な段ボール製の円筒に詰めて配給されました。たちまち人気となり、戦後、民間用に販売されるようになりました。今では最もポピュラーなお菓子の座を占めています。
と、ここで思い出すのは、円筒に入っている明治のマーブルチョコレートですね。アメリカの軍用食として支給されていたM&M’Sからヒントを得て開発が進められたということです。何でもひも解いてみると、興味深い史実が隠されています。
M&M’Sチョコレートは、アメリカのプロダクト・デザインの重要な事例として、2005年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久所蔵品に選ばれています。

M&M’Sのマスコット・キャラクターは、M&M’S自身たち。リーダー格の赤、楽観主義者の黄色、冷静沈着なブルー、自信に満ちた緑、知性派の茶色、心配性のオレンジ、風変わりな紫というそれぞれ個性的な7メンバーで構成されるチームです。
ニューヨークのタイムズ・スクエアには、3階建てのM&M’Sストアがあり、M&M’SのメモラビリアやTシャツ、文房具、バッグなどを販売しています。
REESE’S CUPS
さて、M&M’Sと共に、アメリカの人気ナンバー1のお菓子の座を争い合っているのが「リーシーズ(リースの)ピーナッツバターカップ」です。

「リーシーズ・ピーナッツバターカップ」は、ミルクチョコレートカップに濃厚なピーナッツバター・フィリングを詰めたお菓子です。チョコレートのあまさとピーナッツバターの塩味が絶妙なハーモニー。
生まれは1928年11月5日で、今年98歳。世界恐慌、第二次世界大戦を経て、なおM&M’Sとお菓子の世界の王座を競い合うツワモノです。このチョコレート菓子を自宅の地下室で開発したハリー・バーネット・リースにちなんで名前が付けられました。

タイムズ・スクエアのM&M’Sストアの一角にあるリーシーズ・コーナー
鮮やかなオレンジ色の包装が起用されたのは、1969年のことで、この色を商品棚に見るとすぐに「リーシーズのピーナッツバターカップ」を連想するほどです。この特定のオレンジ色は商標登録され、他社が使えないようになっています。
イギリスの老舗チョコレート・ブランド、キャドベリーの紫、3Mの付箋のカナリア色、高級老舗宝石店、ティファニーの青色なども商標登録されています。ただし、絶対的な所有権を意味するものではなく、特定の商品のカテゴリーにのみ適用されます。したがって、「リーシーズ・ピーナッツバターカップ」に関しては、ほかのメーカーが同じ色合いのオレンジ色を使って類似商品を販売することはできません。
KISSES

アルミ箔に包まれた涙の形のチョコレート、「キス」は、1907年に開発されました。「キス」という名前は、チョコレートをベルトコンベアーにしぼり出す際に出る音に由来するという説や、キスをするときのすぼめた唇の形に似ているとか、小さなキャンディーを指す一般的な名称だとかいうもろもろの説があります。
製造開始から14年間は、手作業で一つひとつ包装されていましたが、やがて機械が導入されました。
第二次世界大戦中、包装用アルミ箔が配給制となり、キスの製造が中止された時代があります。空白時代があったものの、今でも常にお菓子の人気ランキングの上位を占めています。

クリスマスには赤と緑、バレンタインにはピンクなど、キスを包むアルミ箔の色が変わります。
ちなみに、「キス」の涙状の円錐形や、アルミの包みからのぞいている紙タグなども商標登録されています。アメリカにはかわいい魚の形をした「ゴールドフィッシュ」というクラッカーがありますが、この独特な魚の形も、商標で保護されています。
MOON PIE
おなじみのお菓子たちはほかにも多々あります。レトロでロマンチックな「ムーンパイ」は、2枚の丸いグラハムクラッカーでマシュマロ・フィリングを挟み、チョコレートでコーティングしたもの。誕生は、1917年8月29日。今年で107歳になります。

「ムーンパイ」は、南部出身のお菓子です。テネシー州チャタヌーガにある1902年創業のチャタヌーガ・ベーカリーが製造しています。多くの菓子メーカーが合併・吸収を繰り返すなか、チャタヌーガ・ベーカリーは家族経営を続け、現在の経営者は5代目です。
このお菓子は、「マシュマロとグラハムクラッカーを使った、月のように大きいお菓子を食べたい」という炭鉱夫のリクエストから誕生につながったとされ、庶民的なお菓子というイメージがあります。
「ムーンパイ」は、また、南部で人気のあるRCコーラとの組み合わせが有名です。RCコーラは、1905年、ジョージア州コロンバスで生まれた、酸味の少ない、まろやかなコーラです。大恐慌の時代、RCコーラと「ムーンパイ」は、それぞれ5セントで購入でき、南部の労働者にとって合計10セントという値段は手ごろだったことから、「労働者のランチ」として知られるようになりました。この歴史的なコンビは、毎年テネシー州で開催される「RCコーラ&ムーンパイ・フェスティバル」へと発展しています。

こちらは塩キャラメルのムーンパイ。バニラ、ストロベリー、バナナのフレーバーもあります。
名前にちなんで三日月を配したノスタルジックなパッケージは、発売当時以来、デザインの基本はほぼ変わりありません。RCコーラ共々、販路は広がったのに、いまだに「南部らしさ」、「素朴な味わい」というイメージを持ち続けています。
CRACKER JACK
星条旗の色の赤・青・白の入った、アメリカらしくてレトロなパッケージのクラッカージャックは、1893年、シカゴ万国博覧会で新発売されました。ポップコーンとピーナッツをキャラメルコーティングしたお菓子です。
1896年に初めて野球の試合で販売されてからというもの、野球を観戦しながら食べる定番スナックとして、今もメイジャーリーグやマイナーリーグの試合で販売されています。

crackerjack.comより
マスコット・キャラクターの「セイラ―・ジャック(船乗りジャック)」は、クラッカー・ジャックの生みの親の息子がモデルだということです。犬のビンゴは、パッケージ制作者の飼い犬を元にしています。ビンゴはジャックと共に1919年に商標登録されています。今では、少女のスポーツを促進するために、女の子の「クラッカー・ジル」が登場しています。
1908年のヒットソング、「Take Me Out to the Ball Game(野球観戦に連れてって)」という歌には、「クラッカージャックを買ってよ」という歌詞が出てきますが、この歌は、今でも、メジャーリーグの試合で7回裏の休憩時間に、観戦者もいっしょになって歌うという伝統があります。(Take Me Out to the Ball Gameをオンライン検索してみれば、フランク・シナトラとジーン・ケリーがダンス付きで歌うビデオや、実際に試合で歌われているシーンなどを見ることができます。)この曲は、「ハッピーバースデー」とアメリカ国歌に次ぐ、アメリカで3番目によく知られ、歌われている曲だそうです。
「クッラカー・ジャック」は、中に入っているオマケが人気でした。オードリー・ヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」では、入っていたオマケの指輪を五番街の高級宝石店、ティファニーへ持っていってイニシャルを彫ってもらうシーンが出てきます。映画の小道具として使われた指輪は、スタッフが大量に買って見つけた、本物のオマケでした。
ちなみに、ティファニーで商品を買えば、無料で付いてくるけれど、買わないことには手に入らないことから、「世界で最も高価な無料のもの」として知られるティファニーの箱ですが、箱の色のティファニー・ブルーは、1845年、創始者のチャールズ・ティファニーがコマドリの卵の色を選んだことが始まりです。「洗練された贅沢」というシンボルともなり、商標登録もされています。
時代の変遷で今は「クラッカージャック」のオマケは、オンラインゲームのコードになりました。
FUTURE OF PACKAGING ~ お菓子のパッケージのこれから ~
いくつかお菓子のパッケージを見てきましたが、実は、ロングセラーのお菓子の多くが100年も前に作られたのは、理由があるのです。
その昔、お菓子は家で作ったり、あるいは、買うにしても、近所のお菓子屋さんなどでばら売りしてもらったりしていました。
18世紀後半にイギリスで始まった産業革命は、19世紀後半にはアメリカにも及び、急速に産業が発達して大資本が生まれ、鉄鋼王カーネギー、石油王ロックフェラー、金融王モルガン、鉱山王グッゲンハイム、鉄道王ヴァンダービルトなどの大富豪が台頭する「金ぴか時代」が訪れます。新興国アメリカにたくさんの歴史的な美術品があるのは、この時代の財力が寄与しています。大英博物館、ルーブル美術館と共に世界三大美術館の一つに挙げられるメトロポリタン美術館の所蔵美術品の多くが大富豪からの寄贈品です。また、フリック・コレクション、モルガン・ライブラリー&ミュージアム、クーパー・ヒューイット・スミソニアン・デザイン・ミュージアムなどは、元は大富豪の邸宅でした。
お菓子の業界でも、機械を導入した大量生産が始まり、標準化されたお菓子が出回るようになりました。製菓業者が合併してできた大手のメーカーがしのぎを削って将来ロングセラーとなるお菓子を次々に世の中に送り出していったのです。
また、大量生産は、標準化された包装の必要性を生み出しました。パッケージはただ包んで渡すものでなく、マーケティング・ツールにもなり、一貫した、視覚に訴えるロゴや色、キャッチフレーズなどが用いられるようになりました。素材においても、衛生的で機能性があり、視覚的に魅力のある材料が使われるようになりました。
「ホイットマンのサンプラー」は、20世紀初頭に発明されたセロファンを包装に用いたアメリカ最初のお菓子です。当時セロファンはフランスから輸入しなければなりませんでしたが、おかげで、製品を衛生的に保ちながら消費者が中身を確認できるようになりました。やがて、耐久性に優れ、軽量で低コストのプラスチックが広く普及するようになります。
環境に対する意識が高まった今では、再封できるパッケージや生分解性など環境にやさしい素材の使用が増えてきています。また社会正義が広く認識されるようになり、たとえば、Aunt Jemima(ジェマイマおばさん)のパンケーキミックスの箱には、以前は、ふくよかで、頭にバンダナを巻いた笑顔の黒人女性が描かれていましたが、人種的な固定観念に基づいており人種差別的だと批判が上がり、今では単にPearl Milling Companyという、起源となった製粉所の名前を使って販売されるようになりました。

一時期、バンダナをやめ、真珠のイヤリングを付けたモダンな黒人女性の顔をアップしていたものの、全面的に廃止し、現在の箱には、起源となった製粉所の名前が書かれています。ただし、消費者をつなぎ留めておくためなのか、右端に小さく「Formerly Aunt Jemima(元ジェマイマおばさん)」と記してあるのが見えます。)
ジェマイマおばさんのキャラクターは、1889年から130年の長きにわたって使われ、浸透していたので、ジェマイマおばさんを目印に購入していた消費者も多くいました。強力なコミュニケーターが不在になり、名前とパンケーキの絵のみでは、商品棚にたくさんあるパンケーキミックスとの差別化がなかなかできません。やはりパッケージには、消費者とコミュニケーションできるような「何か」が必要なのかもしれません。

技術や社会の変化によって進化するパッケージ。これからどう発展していくのか、行方に目が離せません。
~ 番外編 :お菓子のアミューズメント・パーク ~
ニューヨークには、たくさんのキャンディーショップがあります。たとえば、ハドソンヤードにある「ディランズ・キャンディーバー」。ファッション・デザイナーのラルフ・ローレンの娘さんがオープンしたファッショナブルなお店で、今やアメリカ各地に支店が拡がっています。ヨーロッパの有名な老舗も、五番街やマディソン街に店を連ねています。
一方、昔ながらの駄菓子屋も、あちこちに散在しています。その一つが移民や労働者階級の人々が伝統的に多く住んでいたロウアーイーストサイドにある「エコノミーキャンディー」です。

元はといえば、靴の修理屋で、店の前に手押し車を置いて駄菓子も販売していました。大恐慌が始まると、駄菓子の方が靴の修理よりも多くの収益を上げるようになり、1937年に駄菓子専門店に転身したのです。

中に入ると、目に入るのは、駄菓子の数々……2000種類余りの駄菓子を扱っているということです。トウィズラーやレモンヘッドやトッツィロールやサワーパッチ・キッズや――まるで駄菓子のアミューズメント・パークです。
週末になると、人でごった返します。大人も子供時代にタイムスリップ。お母さんがある駄菓子を手に取ってじっと見つめると、子供に「小さいときに食べた覚えがあるわ」と話しているのを目にしました。
お菓子の世界で、子供たちは記憶の蓄積、大人たちは記憶の解凍が始まります。
お菓子が時代を超えて中身も外見もあまり変化しないのは、実は、子供のころのノスタルジアで消費者をつなぎ留めておくためかもしれません。

撮影・文/桐江 キミコ